言葉のない世界を生きていた

「ことば」について


物に八つ当たりをする子供だった。

他人を傷つけるのが苦手だからかもしれない

言葉にするのも苦手だからかもしれない

自分を傷つけることもいけないことだと教わっていたからできなかった

抑えきれずに溢れ出した感情が流れ着く先はいつも、物だった。


ある日、

溜まりに溜まった感情がソファを蹴り上げ、壁に大きな穴を開けた。

原因は今思えばなんともちっぽけなものだ。

あらゆることで兄にずっと勝てない劣等感。誰にも話を聞いてもらえない孤独感。

それが積もり積もった結果だった。

母親の目の前だったし、私の目の前での出来事でもあった。

私には衝撃だった。

感情を抑え込まないととんでもないことをしてしまう。

そんな感覚だったと思う。


耐えきれなくなった私は、頑なに弁償すると主張し、

母親が止める中、こっそり溜めていた全財産2万円を叩きつけ、

部屋に閉じ籠った。

もしかしたら、私は物を傷つけることすらも苦手なのかもしれない

中学生の頃の話である。

それからというもの、八つ当たりをすることは一切なくなった。

それを成長と呼ぶ人もいるかもしれない

しかしそれは空白の5年間の始まりだった。

私はその日を境に、
自分は苦しみを消化するのが得意なんだ、
と思うようになる。

事実、私の中高時代、「悩みなどかけらもなかった。」

その文字列だけは鮮明に頭に刻まれている。

その代償でか、

自我の記憶もほとんどない。

(兄の反抗期で家庭が崩壊していたことも関係しているかもしれない。)

自我の記憶というのはつまり、

自分の言葉で考えた覚えが一切ない

能動的に考えるとはどういうことかわからなかった

「わからない」というハテナマークすら、頭に浮かばなかった。

心に蓋をした私は

幸せになる努力も放棄した。

物欲はほとんどわかなかった。

常識を疑うこともしなかった。

皮肉にも学校の成績は伸びていった。

何かのことで頭がいっぱいだったわけではない。

けれど、空っぽだったわけでもないと思う。

ただただ。 言葉のない世界。

悲しくもない。嬉しくもない。

笑うべき時に笑い、驚くべき時に驚いた。

泣くべき時はどうすればいいかわからなかった。

毎日の風景だけは覚えている。

そこに自分の思い出はない。

 

私は昔の自分をアンドロイドのような別人だと思っている

言うべきセリフを然るべきタイミングで言うことのできるアンドロイド。

能動的に自分で考えた、ということが本当にない。

生きている実感なんて当然なかった。

たまに、高校時代のあなたも好きだよ、と言ってくれる友達もいるが、

その時は複雑な気持ちになる。

その頃の私は、私ではない。

言語化という概念を知った時は衝撃だった。

自分の気持ちを、思っていることを言葉にしていいんだ、と、

そういう感覚だった。

ヘレンケラーが水に触れた時の感動に近いと思っている。

こんなに気持ちのいいことがあるんだ、と。

そこから内省と自己表現にハマった。

なんでも自分で決めていいんだ、とあらゆることが輝いて見えた。

そうしている中で、身体にも変化が訪れた。

それは、もやもやとした感覚だ。

腹の底にずっしりと重い物が溜まる感覚を人生で初めて感じた。

生きていると実感が沸いた。

だから。


上手くいかないことも、分からないことも、
悲しいことも、叫びたくなることも、たくさんある。

だけど、
この腹に溜まったもやもやとした感情も、

抑えきれずに溢れ出してくる涙も、

何もない世界にいた私にとってはたまらなく愛おしいのです。

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