言葉と出会うまで

私はおおらかで大人しい子どもだったので、しゃべりたい人が勝手に寄ってきて、相手が一通り満足するまで、うんうん、と聞いている子どもだった。
正直その話の内容はさほど頭に入っていなかったが、ただニコニコしながら相槌を打っている私に、相手も満足している様子であった。
だから人間関係に困ったことはあまりなかった
それだけならよかったが、そんな単純な話ではなかった。
私も少しは誰かに話を聞いてほしかったのだ。

私の言語発達は少し遅れていたようだ
普通の子は2歳になると二語文と言って、「あれ、ちょうだい」のような、単語と単語が繋がった文は話せるようになるらしい
ところが私は、その時期になっても指を刺して「ん」の一文字だったそうだ

「病院ではこれくらいのことはよくあります」と言われて特に何かの診断はされなかった。
その時、病院でもう少し強めに言われていたら、もう少し心というものを知って育ったかもしれない、と思う。
普段の生活は、兄がいつも私の意図を察していたので特に支障もなく送れていたそうだ。
兄は本当におしゃべりで、会話はいつも兄を中心に回っていた。
親も兄が楽しそうに話をするし、私もニコニコ笑っているだけで全然話をしようとしないから、まあ楽しそうだしいっか、と思っていたそうだ。

親戚が集まる場でも同じ構図だった。
じいちゃんばあちゃんも兄の話に興味津々で、私は隅っこの方でいつもニコニコ笑っていた。
もちろん、話を振られることもある。けれど、何を話せばいいのか言葉に詰まっているうちに別の話題になっている。
集団で言葉を紡ぎながら話せるほど私は強くなかった。聞いてほしいと言えるほど話せる話題も出てこなかった。

私の友達が家に遊びに来た時も同じ構図だった。
兄は誰とでもすぐ仲良くなれる人なので、周りからも頼られていた。
そんな兄が色んな遊びを提案する中、私は複雑な気持ちであった。そこに誇らしさはなかった。けれど、やはり私には伝える力が一切なかった。

ある日、友達が帰った後、リビングでテレビを観ている兄の背中に、先端にセロテープで釘を括りつけた紙飛行機を投げつけたことがある。
その紙飛行機は、先端の重みですぐに落下して兄に刺さることはなかった。
当時の私は内心(気持ちに気づいて)と思いながら投げつけたと思う。それしか気持ちを伝える術を知らなかった。
けれど、落ちた紙飛行機を私はすぐに拾って何事もなかったかのように部屋に閉じ籠った。誰も気づかずに不発に終わった。

兄の反抗期は長かった。まるで注目を独り占めするかのように、中学の初期から大学を卒業して実家を出ていくまで続いた。期間にすれば10年近くだ。
その間の私の家での記憶は、連日行われる親子喧嘩と、それに触発されて起きる夫婦喧嘩と、食事の時のテレビと、あとは親のいない隙を見てゲームをしていた。だいたいそれくらいだ。

その頃の私は兄にだけは負けたくないと思うようになる。
遊び全般・足の速さ・立幅跳・ゲーム。様々なことで勝負を挑むようになった。
4つ上の兄に勝てるはずもなく、唯一勝てたものが学校の成績だった。
その後しばらく、成績は自分の唯一のアイデンティティだと思うようになる。一方で兄は成績に関しては何も気にしていなかった。

ある日、兄に負けた腹いせに暴れたら、壁に大きな穴を開けた。衝撃だった。
母親が別にいいよと止める中、隠れて溜めていた2万円を叩きつけて部屋に閉じ籠った。
その日から、もともとほとんどしていなかった気持ちの表現を一切しなくなる。怖くなったんだと思う。だが、その変化に気づいた者はいないと思う。
外での楽しみ方も分からず、楽しいであろうことを楽しいと思うようにしていた。
いつもニコニコ笑っている私は誰からも嫌われず、心配もされなかった。

中学の卒業アルバムで、好きな女優は?という質問があった。
私は誰一人分からず、友達になんて書けばいいか尋ねた。
友達は、ガッキーって書くのが無難だと思うよ、と教えてくれた。
私はそこからガッキーにハマり、コードブルーに憧れて医学部に進学した。
高校の頃、自分の欲が分からなかった。

大学に入り、楽しい生活を一つずつ辿っていく中で、自分は言葉が苦手なんだと、ようやく自覚する。
それまでは苦手だと思わないようにしていたんだと思う。自分が壊れてしまうから。

ある年、言葉遣いがとても美しい人を好きになった。強い芯のある人だった。もしかしたらただの憧れだったのかもしれない。空っぽな自分を好きになってくれるはずもなかった。
しかし、そこから言葉にする楽しさを知っていった。

まずは、自分の気持ちを言葉にする前に、「聞いて聞いて」という気持ちが先行した。
初めのころは、聞いてもらうために、その場の流れを汲んで、言うべき発言ばかりしていた。
ところが最近思う。会話の流れにそぐわない発言をしてみた時も、相手がそれに応えてくれるようについてきてくれる。それがなんとも不思議で心地よい。
今まで流れを読む方法しか知らなくて、それしか許されないと思っていた。
それまでは手で押したり引いたりしないと誰かが動いてくれなかったのが、自分が気まぐれに放った音が相手に届いて行動が変わるんだ、と感動した。

「言葉に正解はない」
分かっていたはずなのに、どうしてこうも感動するのだろう。
何を言ったっていいのだ。
自分が放った言葉の持つ色を相手がくみ取って、全く別の色を返してくる。
「会話のキャッチボール」という表現は少し窮屈に思う。
長い間、私はその言葉のせいで、自分から一方的に話すのをためらっていた。
けれど、なにも無理に質問しようと思わなくていいのだ。
自分が話したいときは話していていい。
それを相手は案外返してくれる。

それくらいわがままになっていてもいいんだと思う。
きっと相手も話したいときは話してくれる。
だって、私は聞いてもらえない寂しさを知っているからこそ、そこには敏感なのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました