フリーターと外の世界

就活・フリーター生活

なんでフリーターやってるの?

そう聞かれたとき、

今の僕ならこう答える。

「自分が分からなくなったから」


そしたら、みんな言う。

「自分なんてみんな分からないよ」

と。

さらに続ける。

「答えの出ないものをいくら考えても仕方ないからさ?」

毎度思うのだけれど、

それこそが人生ではないんですか?




―――

例え話をさせてほしい。


牢屋で生まれた赤ちゃんがいたとする。

ものごころついた頃からずっと牢屋に一人きりだ。

食糧は定期的に供給される。
なかなか味も良い。

生まれた時からそうなので、
その環境には慣れきっている。

何一つ不自由がない。

「毎日の食事」というささやかな楽しみがあるわけだ。

なんならゲーム機器もあって、暇な時はゲームだってできるし、漫画もあるし、娯楽には困らない




ところが一つ、

壁の上の方には小窓がついている。

外には色鮮やかな景色が広がっている。



それはあまりに当たり前すぎて、少年は特に気にしたことがなかった。

ところが、ある朝少年はひらめく。

外の世界があるんだ!
と。

それは本能的に感じたことだった。

けれど、いくらその窓を壊そうとしたところで、びくともしない。

さて、あなたが少年ならどうしますか。

(細かい設定は大目に見てほしいです)










ここでのテーマを簡単に表すなら、

不自由のない暮らし
か、
解決できないけど、そそられる問題

のどちらを取るかだと思う。

あなたはどちらを選ぶだろうか。






僕は、

フリーターとして、今こうして引きこもっているわけだけど、

「外の世界を見なきゃだめだよ」とよく言われる。

「1人でいるだけじゃ何にもわからないよ」と。


ただ僕は思うんだ。

外の世界に出ることって、

一見、誰かと交流を持つこと自体に思うけど、

ただ友達と遊んでいることが、
牢屋の外の世界に出ることではないと思うんだ。

ただ仕事で成果を上げることも、
外の世界に出ることではないと思うんだ。

仮に世の中で認められて、
大勢の人々を引っ張ったとしても、
外の世界に出れたわけではないと思うんだ。



自分では訳も分からないのに、

「みんなそうしているから」という理由で行動を決めるうちは、

外の世界に出ようとしてないと思うんだ。



じゃあ何かって?


そうだなあ、、、

少年もずっと外を目指し続けるわけではないかもしれない。


どこかで妥協点を見つけて、

彼なりのささやかな幸せに気づく時が来るかもしれない


その人生を誰も責めることはできない




だけど、果たして、

少年が外の世界を追い求めるのは、

無意味なことだろうか。

愚かなことだと笑うだろうか。




僕はね、

周りになんと言われようと、

それでも自分で納得しようと生きる意味を探し続けることこそが

外の世界に出ようとする意志そのものだと思うんだ。




正直、自分が外の世界に本当に出られる姿は想像できない。



だけど今の僕にはもう少し納得する時間がほしい。

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