【体験記】どこに向かえばいいか分からなくなった

「頑張る」について


(※これは、約1年前にnoteの方に載せた記事です。今ではやりたいことが少しずつ分かってきました)


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道標を失いました。

深い霧に覆われて、

歩く意味すら感じられなくなりました。

この先、何のために歩を進めればいいんでしょう。

生まれてから20余年、
私の行動原理は「何をしたいか」ではなく「何をすべきか」でした。

教わったことを信じてきました。
誰に強制されたわけでもありません。

学んだ知識を頭で組み立てて、
最適解を見つけて行動する。

そこに自分の心は関与しませんでした。

だから、「したい」というよりは「すべき」ことだったんです。

そうやって生きても何ら問題ありません。
むしろ賢い生き方かもしれない。
割と「上手く」生きていたのでした。

けれどある時、疑ってしまったのです。

上手く生きたところで何?

上手く生きられたら?

そりゃ収入は安定するでしょう。

じゃあ収入を安定させたら?

不安は減りますね

じゃあ、不安を感じない人は?

不安を感じたとしても、それに何の問題があるの?

結局自分がどうしたいかですよね



んー、あとは、上手く生きたら趣味にお金をかけられますよね

じゃあ趣味にお金がかからない人は?

そもそも趣味をやる必要は?

ないですよね。

結局何をやりたいかですよね。

「えでも趣味のない人生って嫌じゃない?」

うん、なので何をやりたいか次第ですよね。

え、でも、上手く生きなきゃ馬鹿にされるよ?

のけ者にされるかもしれないし、

色々面倒事にも巻き込まれるかもしれないよ?

どの会社も採用してくれなくなるかもしれないよ?

ですね、たしかにそれは自分にはコントロールできない問題ですが、

でも結局自分がどうしたいかですよね。

それが嫌に思うかどうかは人それぞれだし。



考えれば考えるほど、

しなきゃいけないことなんて何一つなくて
結局自分がどうしたいか次第

に行き着くんです。

自分さえ納得できていれば、
何をしたっていい。
何もしなくたっていい。

心の底からそう気づけたんです。

でも、


でも、したいことが分からないんです


自分が何をしたいのか、
内から湧き上がる自分の声に
耳を傾ける方法が分からなかったんです。

だから何もできなりました


何をするにしても、
「いや、これはしたいことじゃない。でも何がしたいんだろう」

そうやって考えているうちに、
時間が流れていきました。

すべきことが何もないと気づいたのに、
したいことも何もないと、
本当に何をする意味も感じられなくなります

結果、
就活では内定先を蹴って、
フリーターになりました。

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とはいえ、
お腹が空いたら何か食べたくなります。
家に風呂トイレは欲しいです。
これくらいの欲求はあります。

だから、多少のお金は必要です。
そのために最低限働いています。
一日4時間くらいですかね。生活は回っています。

ただ、それ以上の欲が分からない

趣味とか服とか美味しいものとか良い住まいとか貯金とか旅行とかステータスとか、
そういうのが欲しいわけじゃない。

また、これまで頭で感情を作り出してきた人なので、
「苦しくたって構わない」と信じ込んでしまえば、
苦しい状況が本当の意味で苦しいとは感じないんです。

苦しい状況から抜け出すことすら億劫になって、、、。

ひたすら時間が過ぎていき、

結局「幸せになりたいわけでもない」という結論にまで行き着きました。

別に自分の人生が逃げるわけでもないし、
今急いで幸せにならなくたって構わない。

今幸せにならなくたって、明日には気持ちが変わっていたりして、
結局どうにかなる。
どうにもならなくたってどうにかなる。

なら別に今急いで幸せを目指さなくてもいいじゃん
苦しくたってそこから急いで抜け出さなくても大丈夫だよ。


こう考えました。

これが成長なのかはわかりません。

苦しさも受け入れ、一歩も歩かずに、ただただ時間が過ぎていく。

本当に霧の中にいるようです。

一寸先も見えない深い霧に覆われ、
道標も何も分からず、
歩く意味すら感じられず、
ただそこに座り込みました。

時の流れを感じ、焦りすら受け入れました。

そして信じました。何もしなくていいことだけを。

信じました。これが私の人生なのだと。

食欲に身を任せ、睡眠に身を任せ、
最低限の仕事をする。

貯金が減らないことだけを意識していればあとは何もしない自分を許してみる。

そういう生活を続けました。

すると、不思議ですね。

気づいたら文章を書いているわけです。

何もする必要がなくなった時、私の中にはたしかにやりたいが芽生えていたんです。

昔も少しは書いていたけど、

ちゃんと残しておきたい、と思うことが増えたのです。

他にも、

たまに大掃除をしてみたくなったり、
たまに野菜炒めを作ってみたり、
たまに誰かと深夜に電話したり、
少し仕事を頑張って好きな漫画家さんの個展に行ってみたり、、、、。

心って理屈じゃないんですね。

何もしないって決めても、歩いちゃうもんなんだな、って。

それがまた嬉しくて、楽しくて。

長い間、「したい」を抑え込んできましたが、

リハビリは順調です。

みなさんは
「歩む意味」ってなんだと思いますか。

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