「好きなことを仕事に」じゃないのかもしれない

就活・フリーター生活

好きなことを仕事にしている人が、私の周りには多い

兄も従姉妹も父も叔父も、親戚は皆好きなことを仕事にしているし、
友達もヒイヒイ言いながらも、案外楽しそうに仕事している。
もちろん大変なことはあるだろうが、どちらかと言えば満足していそうだ。

そんな人たちを近くで見てきたから、私も好きなことを仕事にしたいという想いが昔から強かった。
けれど、好きなことも分からなかったし、ずっとのめり込んできたこともなく、「好きなことを仕事に」というスローガンだけを抱えて大学を卒業してしまった。

結局、そのまま行けば働けていたところを蹴って、現在フリーター生活をしている。
端的に言えば、やりたくなかったから。
とはいえ、目指している仕事も具体的にはない。

それでも、今やれることは文章や絵をかくことくらいだから、たまに書いているが、
書きたいものが全然出てこなかったりで、身が入らない時も多い。

多様性の時代、こういう生活を認めてくれる人もいるが、
実情は、悶々と時間が溶けていっているに過ぎない。

すっかり自信も失くし、
好きなことを仕事にするのは現実的ではないのか、と悲しくなり、
そう頭によぎってしまう自分にまた悲しくなる。

先の見えない日々が続いている。

そんな中、
先日、友達にTシャツを作ってほしいと頼まれた。
私の服は自作のものが多いから、それが宣伝効果になったのかもしれない。
友達とデザインも話し合った。
あとは描くだけだ。半日もあれば完成するだろう。

このことがあって気づいたことがある。

これまでは、
「好きなことを仕事に」ということばかりに気を取られていたが、
案外、「好きなことで頼られたい」という単純な想いなのかもしれない。

そういえば、
長いこと忘れていたけど、
私は純粋に人助けが好きだった。

昔から、ポスター作るのも、勉強教えるのも、部活の練習メニュー考えるのも、
頼まれたことなら張り切ってやっていた。
寝る間も惜しんで、ギリギリまでより良いものを作ろうと奮闘していた。

大学に入ってから頼まれることがほとんどなくなって、
ある時を境に「自分のために生きる」と決めて、人助けもしなくなった。
1人の世界に入り込んでいった。

そういう時間は無駄ではなかったとは思っている。

でも、ちょっと違ったね。

自己完結的に好きなものにのめり込んでいける人には憧れるけど、
自分の性には合っていなかったんだと思う。

「納得のいく仕事を。」という夢を捨てるつもりは微塵もない。
だって人生の半分なんだよ?

ただ、
「好きなことを仕事にするにはどうすればいいか」を考えるのではなく、
「好きなことで頼られるにはどうすればいいか」を考える方がいいんだと思う。
その方がずっと分かりやすくなった。


頼まれたことを張り切ってやっているうちに、
それが気づけば仕事になっているんだろう
と、今では思う。

私にはそちらの方が向いている。

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