横断歩道を渡るのでさえ怯えていた

過去の話

私のいた高校の目の前には、左右に真っすぐ伸びる気持ちのいい道路があった。
突き当りは陽炎でぼやけてしまうほどの真っすぐな道路だ。
車通りはそこまで多くなく、見晴らしがいいからか、結構なスピードを出している車が多い。
そんな道路を横切る横断歩道が、正門すぐのところにあった。

下校時刻。
一緒に帰る友達はみな気兼ねなくその横断歩道を渡っていく。
ところが私はどうしてもその横断歩道を渡るのが苦手だった。
たとえ車がかなり離れていてもダメだった。
頭では大丈夫だと分かっていたので、結局は友達を追いかける形で渡っていたのだが、
毎回どうしても勇気が必要だった。

純粋にスピードが出ているから怖いというのもあったと思う。
ただ、それ以上に大きな理由があったんだな、と最近気づいた。

———

高校時代、今思えばあの日々は怯えて委縮していたんだと思う。

常に意識していたのは「とにかく目立たないこと」

オシャレは目立つからとユニクロ×1000円カット。
サッカー部にいた頃もボールが来たらすぐにパス。(辛くなって辞めた)
登校するのはぞろぞろ集まりだすチャイムギリギリ。
でも目立ちたくないから遅刻は絶対にしなかった。
人に話を合わせて、楽しそうに笑うように気をつけていた。
「気を遣わないという気遣い」を誰よりもやっていたと思う。

自分がやりたいことよりも、目立たないことの方が重要だった
3番目くらいが一番居心地が良い。1番になりそうだったらわざと手を抜いた。
目立たないために勉強した。笑顔の練習をした。人生楽しいと言うようにした。夢を、希望を持とうとした。
親にも心配されないように振舞った。自分が空っぽだと気づかれたくなくて。
それが普通だから不幸だとも思っていなくて、だから「ちゃんと幸せだよ」と言うようにしていた。
そうやって自分を殺してしまっていたから、やりたいことが本当に分からなかった。疑問にも思わなかった。

注目されるのも妬まれるのも話題を振られるのも全部怖くて、
振られそうになる前に事前に言う言葉を用意していた。
いざ話を振られたときは全力でお道化るように心がけていた。
授業で前で発表せざるを得ない時はいつも頭が真っ白になっていた。
それを直したくて、大学時代はみんなの前で話すバイトを始めた。(おかげで少しは落ち着いて話せるようになった)

怖いと言うのも怖くて、全部押し込めて。
高校は楽しかったか、と聞かれても分からない。
笑ってはいた。としか答えられない
とにかくいつも静かに、無難に、楽しそうに笑っていた。

そんな私は横断歩道でさえ堂々と渡れなかった。

車に先を譲ってもらうことに申し訳なくなる気持ちは、共感する人も多い気がする。
ただ当時の私はドライバーに『ブレーキ』を意識させるだけでも迷惑だと思っていた
だから、車がまだ大分遠くにいても、
ドライバーの行く先に私が立ち入ることは、あってはならないものだと思っていた。

また、横断歩道を渡っている間は、ドライバーは私に注目しているわけで、
その視線も耐え難かった
だから早くその視線を振り切ろうと歩道に逃げ込んでいた。

ごめんなさいごめんなさい。と心の中で唱えながら渡っていたのを覚えている
とにかく人の目から逃げたかった。
だから、できれば信号に「あなたが渡るターンです。」と保証されながら渡りたかったのだけれど、
でも友達に先に行かれているし、場の空気を壊したくもなかったので、いつも勇気を出して渡っていた。
以上。そんな話。

最近本心をさらけ出す友達が増えてきて、「意外と人の目を気にするよね」とか「意外と一つ一つの言葉選び慎重だよね」ってよく言われる。
やはり”意外”らしい。
その言葉に嬉しくも悲しくもなるのだ。
たまに笑っている自分が怖くなる。

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