私が望んで病む理由

「ことば」について



私って望んで病むことが多いんですよね。

なぜかって、自分では「虚しいより苦しい方がいい」と思っているからです。

この価値観は人によると思いますけどね。

私って、心を閉じ込めるのがものすごく上手いんですよ。
何も意識していなければ、すぐに心に蓋をしちゃうんです。
だから苦しいと感じることもなく時間をスキップできちゃうんです。

小さい頃は言語化が本当に苦手で、
自分の考えは言葉にならないまま飲み込むしかなくて
多分消化する術を知らないから、心を守るために向き合わずに忘れていくしかなかったんでしょうね。

でも、それって結構ストレスかかってたんですよね。
今振り返ってみたら、ツラくもなかったけど、楽しくもなかったです。
押し込んではいたけど消化に時間がかかるので、ずっと我慢の人生で、それにすら気づけなくて、
なんか惰性で生きてる感じ。

それがすごい悔しかったんですよね
中高時代は心に完全に蓋をして生きていたから、
自分の望みが分からないまま大学進学したし、
よく分からないまま、気づいたら大学終わってた、みたいな感じで。
人生無駄にしてる感がとても悔しかったんです。

だから、虚しいよりは苦しい人生の方がいいと思うんだと思います。

ただ幸か不幸か、私の場合爆発には至りませんでした。
その前に気づけたからです。
(もっと早く爆発してくれればよかったのになんて思いますが)

何に気づけたかって、言語化の重要性です。
言語化をしないとと本能的に思って、Twitterに病んだ言葉たちをメモするようになったのが5年ちょっと前。
3年前には医学的にも臨床心理的にも言語化が大切だということを学び、さらに言語化にのめり込んでいきました。
1年前にフリーターになって、それまでは殴り書きが多かったのですが、ちゃんとエッセイ書いてみるか、と少し心境の変化もあり、現在(気ままにですが)奮闘中です。



いまだに、何も意識しなければ心に蓋をしちゃいます。
だけど、それじゃ人生が死ぬほどつまらないから、
少しでも病み感情を感じた時には、警察を出動させるんです。
「ピピー!!!押し込めちゃダメ~~!!保ってないとダメ~~!!!」って。
それで自ら闇を増幅させて、必死に言語化しています。
どんな小さな負の感情ももう押し込めたくありません
もう押し込めるのはこりごりです。
私は人生を感受性の炎で燃やして生きていきたいのです。

心を解放した分だけ悲しさも楽しさも増えて人生が豊かになると思っているので、
精神が感情の渦で壊れてしまうのなら私は本望です

もちろん、元々が苦手なので、感受性はまだまだですよ
人生をかけてのテーマになるんでしょうね

実は感受性を高めたその先に目的があったりもするんですが、その話はまたいつかの機会にしましょう。

では今日はこの辺で。

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