君だけじゃないんだから───そう言われてしまうんじゃないかと。
泣くのは不和を生むものだと、ものごころついた頃にはすでに感じ取っていたように思う。ならばと押し込めて、いつも笑ってごまかすのだ。
語れば痛い、そういった類の感情は、いったいどうすればいいというのだろう。ああまた言ってしまったと、聞いてもらった夜ほどつらくなるのは。
幼稚園にいたころ、のぼり棒からわざと落ちたことがあった。たしか迎えにきた母が立ち話をしていたときだった。きっかけがあったかどうかは覚えていない。積もりに積もったさびしさが、握った手を緩めたのだった。肩から地面に落ちた私を見て、周りは一目散に駆け寄ってきた。周りの大人たちが手当だの病院だのと話し合う中で、私は泣きそうになりながら「大丈夫」と言い張っていたのを覚えている。痛いのは肩ではなかったから。
小学校に上がった私は、図書室で『はだしのゲン』や『ズッコケ脅威の大震災』に目を輝かせていた。
戦争や自然災害といった不幸に見舞われること、それらが私の眼にああも輝いて見えたのは、逆境から立ち上がる社会に絆のような繋がりを感じるからだと当時は考えていたが、振り返ってみれば、自分は抱きしめられてもいい存在なのだと、自分で許したかっただけなのだと思う。その頃にはもう、心配を集める行為全般が自分で許せなくなっていたから、不遇な境遇に身を置くことでしか、思い切り泣ける場所を見出せなかったのだと思う。
今となっては墓場に持っていけば済むような寂しさも、小学生一人では到底抱えきれるものではなかったのだろう。
中学校に上がってもその渇望は変わらなかった。
私はいつしか布団の中で、物語のヒロインを演じるようになっていた。他にめぼしい癒やしもなかったから、そのために数時間も早く布団に入ることさえあった。その夜のひとときだけは好きな自分を演じ、前夜の物語からの続きを追った。その物語の中で理想の私は、降り掛かる数々の理不尽な悲劇にたしかな癒やしを感じていた。
あの頃きっと、悲劇の分身を創造することでやっと自分を抱きしめられていたのだと思う。人に当たれず、物に当たれず、自傷行為も恐ろしく、嘆くことさえ自ら許せず、はけ口を失った数多のものは、ほこりの降りしきる子ども部屋の中で、悲劇の物語へと人知れず浄化されていった。
日々に追われる大学生ともなると、スマホを手にしたことも相まって、そうした空想の時間は減っていった。ただそれも目を背けていたに過ぎず、私自身の性質が変わったわけではなかった。大学5年生になり、病棟実習を廻っていたころ、小児科の精神病棟の入院患者がたまらなく羨ましく感じられたのである。拒食症やPTSD、ネグレクトといった苦難を抱えて育ってきた子どもたち。私とさほど年齢の変わらない彼らと話せば話すほど、幼少期からの自分と通ずるものを感じたのであった。
小児科のその先生は言った。
「彼ら、普通に見えるでしょ」
その言葉はまるで自分に言われたように感じられた。
私が書き始めたのもちょうどその頃にあたる。
ずっと頭の中に、不幸番付のようなものがあったのだと思う。
身寄りのない人もいる、衣食住にさえ困る人もいる、世の中には自分より恵まれていない人たちがたくさんいる。そんななか私は恵まれて生まれて、普通に振る舞うことだってできる。街中で狂ってしまうこともなければ、人前で泣き出してしまうこともない。見るからに生きづらそうな人たちを前にして、つらさを嘆くことはできなかった。身体症状のひとつなく、からだは至って健康体で。感情そのものが苦しいのではない、感情を言えないのが苦しいのだと。話したいことはないけれど、ただ聞いてほしいだけなのだと。それらもまた、誰もが抱える悩みなんだろうと、言ってはいけないものだと押し込めてきた。
たぶん私はずっと誰かにこんなことを言われたかったんだと思う。
*
あのね、
泣いてもいいんだよ。
君はちゃんと苦しいんだからね。
そのとき、嘆いたっていいんだよ。
世界で一番の不幸者だってくらいにね。
君はそれほどに苦しいんだからね。
ただひとつ、
嘘はついちゃいけないよ。
君自身を傷つけてしまうからね。
それで言葉にならないんなら、
大声上げて泣けばいいと思うよ。
*
人がふたりいれば、ふたつの孤独があるのだと思う。
君だけじゃないんだから───そう言えるほど個々の孤独は浅くないのだ。
だから孤独を吐露しちゃいけないわけでもなければ、
自殺しなきゃ悲しみが証明されないわけでもない。
誰がいくら泣いていようが、きみの悲しみには干渉しないし、
きみがいくら泣いていようが、誰の悲しみにも干渉しない。
だから泣けばいいと思うよ、いつだって。
私はそれを背中で聞くことしかできないけれど、
思う存分泣いて、ひとしきり気が済んだら、
そしたら、アイスでも買いに行こう。
今日は暑いからね。

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