頑張れないと悩んでいる人へ

 

無理ができなくなってはや5年。
周りからは「休む時期も必要だよね」と言われてきました。
でも頑張るために休んでいるのではありません。
そういうのを考えるのにも疲れたのです。
そりゃ頑張れるならそれに越したことはない。
怠けたいわけではありません。
しかしいくら強く願っても拒んでしまう心。
それも思い込みかもしれないと動き出してはみるものの、すぐに何かが悲しくなって崩れ落ちてしまう。
こんなに自由な毎日を、せめて好きなことして過ごせていればいいのですが、最後に心惹かれたのは一体いつであったか。
楽しみもなく、目的もなく、無下に過ぎていく時間はじつに悲しいものです。
落ちこぼれた自分には、町を行き交うどの人の人生も歩めないのだなあと、翼の折れた鳥が暗い沼地で空を見上げるように途方に暮れてしまっています。

好きを仕事にしている人たちをたくさん眺めてきました。
そんな彼らも、実情は楽しいことばかりではないのでしょう。
例えば漫画家は締め切りに追われているでしょうし、サッカー選手は過酷なトレーニング漬けの毎日。
そんな彼らを見ていると、余計に劣等感に苛まれます。
しかし本当になぜ彼らはそこまで頑張れるでしょうか。
「好きを仕事にすると好きじゃなくなる」と言われるように、「好きだから」という理由だけでは説明しきれない気がします。
そう考えているとふと、ある発想に行き着きました。

少し想像してみてください。
もし、世界で唯一の才能をあなたが持っていたらどうでしょう。
そしてその才能を誰かに期待されていたらどうでしょう。
「あなたの発明が世界を救うんです」
「このバンドはお前がいてこそだよ」
「あの人の言葉からしか得られない栄養がある」
あなたにしかできないこと、そしてその陰の努力を、本気で待ってくれている人がいる。
それならばきっと苦しい時のあとひと踏ん張りが効いてくれるのではないかと思うのです。

好きを仕事にしている人たちであっても「好き」で為せるのは、所詮楽しいが続くまで。
そこからさらに頑張れるのには、また別の理由があるのだと思います。
それはこうです。
「彼らは、好きを突き詰めた結果、力がついていった。
そしてその彼らの力を、頼りにしている人たちがいる。
だから彼らは苦しい時でも頑張れる。」
わかりやすく大スターを例に挙げましたが、実際には知名度や慕ってくれる人数はさほど重要ではないように思います。
なにより「自分が必要とされている」という感覚に至ったとき、人は自然と頑張れるのではないでしょうか。
小さな子どもを持つ親がたくましいのも、だからなのかもしれませんね。

今の時代はどうも「好き」を究めた人たちが一世を風靡しているように思われます。
そんな熱狂に当てられてか、頑張れない原因は自分の内側にあるものだと長らく考えてきました。
あいにく僕は趣味に乏しい人間でしたから、頑張れないのは「好きがないせい」であって、のめり込めるほどの「好き」を見つけさえすれば自然と頑張れるのだろうと考えていたのです。
ですがもしかすると、「好き」と「頑張る」は分けて考える必要があるのかもしれません。
趣味を見つけてもそれはそれ。
頑張れるかどうかは、また別の話。
なるほど道理で毎日が虚しいわけです。
自分が惹かれることは何なのかと心の機微をいくら見つめていても、頑張る意義は一向に薄れていくばかり。
「必要とされている」という感覚でしか頑張れない僕のような人間は、自分をいくら掘り下げたところで活力を見出すことは難しかったようです。

思えば、書くことだけは続けてこられたのも、同じ理由だったように思います。
こんな文章があればいい。
こんな人間がいればいい。
長らくそう思いながら書いてきました。
息抜きの一環に書く人も多い中で、僕はいまだに気合を入れ直さなくては書くことができない人間ですが、日々そのハードルを越えてでも書き続けてこられたのは、書き上げた先に読者のふっと和らぐ表情を見てきたからだと思います。

最後に、頑張りたいと悩んでいる人へ。
目的もなく、無下に過ぎていく時間は苦しいものでしょう。
周りは怠け者と見てくるかもしれませんが、頑張りたいという切なる想いが消えたことはなかったのではないかと思います。
ですが、疲れていては何もできませんし、気張っていても疲れるばかりです。
あなたにしかできないこと、それはある時ふっと気づけるものです。
季節が巡っていくように、目立たない花でも実っていくように。
ほら、あなたの周りに何もできない人なんていないでしょう?
果報は寝て待て。
のんびり待てばいいと思いますよ。
いつか風がやわらかく感じられるようになるまで。

 

 

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