無気力のスケッチ

 

目標もない。
何ができるわけでもない。
そんな状態のまま疲れてしまって。
この先どう生きていくのか。
わからない。
突っ走っているうちはまだよかった。
根拠のない自信があったから。
今はもう風の吹く気配も訪れない。
なにか願うことさえ少なくなった。
地に足が着いたと、肯定的に捉えることもできはするが。

最近気づいたことがある。
どうやら自分は“よく生きようとすること”自体に抵抗を感じるらしい。
例えばふと山に出掛けようかと思い立つ。
しかしそんなとき自らの心を省みる。
本当に純粋な心で山に惹かれているのか?
本当は鬱屈した生活を変えたいだけなのではないか?
つまるところそれは、趣味で着飾って魅せようとしているのではないか?
欠片でもそう思ってしまった途端、自分がどこか浅ましい人間に思えて動けなくなる。
このような思考が自ら荒んだ生活から抜け出そうと思えなくさせている。

よい人生を拒んでいるのではない。
自然と動き出せるのだったらそれでいい。
不純な心が卑しく思えてしまうだけ。
優劣の枠組みに当て込むのが許せないだけ。
だから純粋な心をずっと待っているのだが。
しかしいつまで経っても動き出せない。
自分はもともと欲の強い人間ではないようだ。

人はそれぞれ、何に幸せを感じるかが想像以上に異なるらしい。
ならば自分は何に心惹かれるのか。
それに従って生きるほかこの世にすることはない。
ならば自分は何に心惹かれるのか。
それがわからない。
では理想の生活から考えてみよう。
しかし理想の生活もわからない。
いくら妄想してみても、こうあれば幸せだろうというものが思いつかない。
例えば隣に誰かがいたらなんて思うことはある。
或いは自分の文章が評価され出したらどうだろう。
しかしそういった空想が仮に叶ったとして、果たして幸せに感じるだろうか。
理想の生活を想像してみたとき、いつも立ちはだかる壁がある。
仮に極楽浄土に居たとしても変わらないこと。
それは、自分が自分であるということ。
向き合わなければならないことの数々。
環境が変わっても明日はやってくる。
理想の生活がわからない。
だから何もする気になれない。

世界が褪せていては、どんなに自分を焚き付けたところで、動機がない。
暮らしを立て直そうとしてみても、あるのは楽しさではなく自己嫌悪からの逃避である。

『堕落について』

心がよく詰まりを起こす。
疲れた心には何もかも虚しいばかり。
楽しさも悲しさも感じられず、何かが詰まって鬱滞して苦しい。
そんなときは窓を拭くのが唯一の術だと思っている。
延々と繰り返される思考。鬱滞している流路。
そうした沈殿を形に残して吐き出せたとき、ようやく空の光が届くようになる。

空を見上げれば人生を謳歌している者たち。
自分は一方何もできない日々が続いていて。
喧騒から離れた隠遁生活。
せめて今の思いを残そうと、書いてもう何年になる。
焦りはずっとある。
悔しさもあるし、なんなら苛立ちだって覚える。
若者として健全な感情に思う。
しかしだからといって動き出すことはできない。
自然と動き出せるのを待っている。
自然と動き出せるのを待っている。
それで動き出せる人間であればよかった。
もはや僕は感じることしかできないようだ。
鮮やかな世界に恋焦がれ、鬱屈をひとつずつ形にし。
そうして時たま言葉が生まれている。

 

 

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